知らない権利は持てない。
映画とか、本とか、ドラマ、演劇でもそうなんですが、
結末が悲しいものが私は苦手です。
バッドエンド....。
好きか嫌いかで聞かれたらもちろん嫌いなんですが、それ以上に苦手です。精神にひどくダメージを受けます。みなさんも好きではないですよね....?
結末を初めから聞かされているのでは、楽しめないとわかっています。それにハッピーエンドなら知らないで鑑賞したいです。ハラハラして、でも最後はハッピー!これが好きです。
けれど最後が悲しいなら、”閲覧注意”ではないですが、”バッドエンド注意”が私にはほしい警告です。この注意書きが出ている作品に私は手を出しません。
名作と謳われた本を読んで、トラウマになっているものが私にはいくつかあります。
精神ダメージがきつかった第一位は、
小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』です。きっと読む人を選ぶ本なのだと思います。私にはとてもとても難しかった。結末をどう考えても良いように受け取ることが私にはできませんでした。
そして第二位は『星の王子さま』です。解釈はたくさんあると思うのですが、私は星の王子さまは悲しい物語だと分類しています。でも、星の王子さまからしか得られない感情があり、何回も読んでいます。
この二つの作品は確かに名作なのだと思います。読んだことに後悔はしていませんが、読んで得たものと精神ダメージとして払った代償を比べてしまいます。猫を抱いて象と泳ぐに関しては、バッドエンドとは何か違っていますが心の負担は大きく、精神をえぐられました。
不意に流れるニュースも知りたくなかった、と思ことがあります。
いじめや虐待、事件事故、戦争.....。きっとこの世界を生きるなら、世界の悪い部分も知らないといけないのかもしれません。
けれど知る権利があるように、知らない権利は私にはないのでしょうか?
いいことだけ見て、嫌な部分を知らないことは本質を見ていないことかもしれません。
上部だけを見て物事を判断することは、何かに支障をきたすのかもしれません。
けれど、全部を知らないといけないのでしょうか?時々世の中はいいことより悪いことが多いことがあります。多過ぎる嫌な部分はフィルターを通したいです。気持ちをどう立て直したらいいのか、この世界の悲しい部分に私は何をしたらいいのか....?
けれどきっと悪いニュースも知らないといけないことなのだと思います。わたしは現実を知らないといけないようです。
最近の出来事ですとオーストラリアの火災の被害は凄まじく、目を覆いたくなるほどです。収束まで遠い手の施しようがない現実、かわいそうな動物たち、悲惨な状況は世界に発信され、助けを待っているのだと思います。知りたくなかったと、何もできないからといって目をつむることはしてはいけないです。
本の世界は現実ではありません。
本や映画のバッドエンドから世界の悲しみへの免疫を私はつけさせられているのでしょうか。そうでなければ、悲しい結末が存在する理由がわたしにはわかりません。
私はちょっと悲しいことへの免疫が不全です。
悲しい物語というワクチンが必要なのかもしれません。現実は時々免疫不全では耐えられません。